西大田の地域情報や各種お知らせを掲載してまいります

西大田の史跡

万福寺跡

名称:万福寺跡
昭和15年2月23日広島県史跡に指定される。
応安3年(1370年)銘の石造七重塔や、正平12年(1357年)銘の宝篋印塔などが遺存する中世の寺院跡である。


 

廃万福寺塔婆(七重塔)名称:廃万福寺塔婆(七重塔)
昭和29年9月29日広島県重要文化財に指定される。
高さ4.19M 七重の層塔
基礎に「大工藤原行?応安第三庚成八月」の刻銘がある。
一字一石の経を納める。
南北朝時代。

 


 

正平の宝篋印塔名称:正平の宝篋印塔
世羅町の重要文化財
高さ1.4m 相輪を欠く。
格狭間脇に「奉書写阿弥陀経・・・」
「正平十二年十一月」「大願主口阿弥陀口」等の刻銘がある。
南北朝時代。

 


 

大般若経

名称:大般若経
昭和50年9月15日広島県重要文化戝として指定される。
永和3〜5年の写本で縦18cm横11cmの折木形式である。
もと、備後国御調郡三原(現三原市)の金剛寺のために、沼田庄内各寺で分担書写したものである。
南北朝時代の作品


 

木造阿弥陀如来坐像・不動明王像・昆沙門天像名称:木造阿弥陀如来坐像・不動明王像・昆沙門天像
●木造阿弥陀如来坐像(広島県重要文化戝)
像高85cm、台の高さ48cm 寄木造り
承元4年(1210年)5月の造立、天文3年に修理などの墨書がある。
鎌倉時代の作品

 

●不動明王像(写真右)世羅町重要文化戝候補
像高118cm、天文2年に修理をする。
仏師は、芸州忠海住源三左衛門実秀とある。

●昆沙門天像(写真左)世羅町重要文化戝候補
像高122cm天文2年に修理をする。


 

永寿寺寺号扁額名称:永寿寺寺号扁額
石室善玖禅師の書になる「永寿寺」の寺号扁額である。
石室は京都の天竜寺、鎌倉の円覚寺建長寺に住まれた名僧であり、世羅町の庸徳寺青山寺、永寿寺の開山でもある。南北朝時代の作品。
世羅町重要文化戝候補



 

昇竜の松名称:昇竜の松
永寿寺
樹勢は旺んで推定樹令は200年〜300年ぐらいと思われる。
世羅町天然記念物候補。


 


 

行安在所跡名称:行安在所跡
田打小字寺本99の2番地(3.5a)塔頭跡を行安在所跡という伝承がある。
後鳥羽上皇が承久の乱により隠岐島に遷流されるとき、忠海より北上する時、一時居所とされたところ。
上皇の遷幸路に異説もあり十分調査をする必要がある。



 

いはい名称:いはい
重永城  淡路の守の遺はい
天文2年(1533年)


 


 

善法寺跡一帯名称:善法寺跡一帯
中世の大寺院であったと推察できるものが多く残っているが、現在の保存状態は不十分である。
現在残っているものは、
1. 本堂 2. 鐘堂 3. 池 4. 墓碑 5. 参道 6. 樹木

 


 

木造阿弥陀如来坐像・木造薬師如来像名称:木造阿弥陀如来坐像・木造薬師如来像
木造阿弥陀如来坐像(写真左)
・ 昭和29年9月29日広島県重要文化戝として指定される。
・ 像高64cm 寄木造り
・ 彫刻に山陰地方に系列のある特徴がある。
・ 昭和 年に広島県立みよし風土記の丘の歴史民俗資料館に展示された。
・ 藤原時代の作品

 

木造薬師如来像(写真右)
・ 昭和29年9月29日広島県重要文化戝として指定される。
・ 像高70cm
・ 元、鞆見山にあったとの霊顕あらたかな伝承を伝える。
・ 腰から下は、切り落とされた立像の残欠である。
・ 藤原時代の作品


 

阿弥陀如来像名称:阿弥陀如来像
一本造り
下部に墨書あり
明暦三年三月吉日(1657年)
森貞善玖


 


 

阿弥陀如来像 台座裏 銘名称:阿弥陀如来像 台座裏 銘
阿弥陀如来 京都六角通境町角
       仏師山本佐七正道
御再建 明治十三歳四月初吉日台坐新調也


 


 

青磁の観音名称:青磁の観音
青磁製の仏像は珍品像
浦壁山城主、栗原河内守元胤(慶長5年長州に移る)の祖栗原豊後守の持仏という。
また栗原氏の菩提寺を創建した福田寺の開山が中国よりの伝来の品をまつりしとも云う。
厨子は元胤の子孫が元禄年に納めたもの。
年代不詳


 


 

宝篋印塔名称:宝篋印塔
高さ2.44m
郡内の宝篋印塔の中で完存で最大級に属する。


 


 

大乗紗典塔名称:大乗紗典塔
高さ1m25cm幅35cm
銘:大乗紗典五千部 修
天文二十年四年一月 日


 


 

六人墓名称:六人墓
江戸中期享保の百姓一揆のおり、賀茂の百姓6人が処刑されたと云う。
その人々の供養の墓である。


 


 

殿様墓殿様墓
石灰質の墓石であり大型
※ 石灰岩は世羅郡内にはなく、神石または甲奴郡ではなくては求められない。
この時代にこれだけのものをつくれるのは、かなりの財力と推察できる。


 


 

若菜の墓名称:若菜の墓
若菜悲恋の物語(伝説)
青山から、田打へ越す峠に池がある。
今は二つになっているが、昔は三つ並んでいた。
池の対岸に「若菜の墓」がある。
尾道の資産家の娘「若菜」が毎朝ぬぎ捨てている草履がしっとり濡れているのを見て、父親が或る夜あとをつけていった。
娘は、尾道、市村、今津野、下津から田打へ飛ぶように、走って峠にきた。
峠に来た娘は池の中に入り、水中でたわむれる姿はまるで恐ろしい大蛇であり、水より出ると美しい娘の姿にかえっていた。
かくて、三つの池に次々に身を投げ入れて、たわむれていた。
これをみて、父親は大いに驚き、池の岸辺で娘を斬り捨ててしまった。
このことあって、この池を「若菜が池」というようになった。
のち、両親は娘の冥福を祈って、尾道より若菜が池に至る道筋に五輪塔の塚をたててやった。
これは、娘若菜が、かなわぬ恋に発狂して、池に身を投じて死んだ悲恋の最後を粉飾したものであると考えられている。
若菜が池のある峠は若菜が峠という。


 

三界万霊塔三界万霊塔
名称:橋本の大型三界万霊塔


 


 

石地蔵名称:石地蔵
高さ101.7cm  幅58cm
山田原実相院
慶長3年(1598年)
七月廿日福間弥兵衛
伝承 月ヶ平城に上る道筋にあり、戦死者の五輪石が付近に多い。


 


 

棟札名称:棟札
1. 寛永元年七月十一日
尾儀浩ェ門尉之をまつる。
神主 佐伯備前 道
従 天文十二年七月十一日

2.備後国世羅郡大田郷堀越村月見城主
小寺敬秀三百年饗奉寄進石垣一組
至 天保十三年・・・沙汰者也

3.寺町村大田 和理比売神社


 


 

亀の尾二号古墳名称:亀の尾二号古墳
世羅町寺町康徳寺古墳(県指定)に準する大型横穴式古墳である。

石室・・奥行・・6.2m
    巾・・2.2m
    高さ・・2.5m
(町史跡候補)

※ 参考のため康徳寺古墳は
・ 円墳 直径・・・15cm、高さ・・・5m
・ 石室 ・奥行・・・9.5m
・巾・・・2.4m
・高さ・・・2.4m


 

玄武岩の柱状節理名称:玄武岩の柱状節理
世羅町天然記念物
時代、新世代―第四紀―洪積世
世羅台地には、第四紀の火山活動によって噴出したと思われる玄武岩の山が鐘状をなして散在している。
いかり山の玄武岩鐘は規模は小さいが、典型的な柱状節理が発達し、きれいな露頭として、観察上遺重である。